ハワイ商店の歴史

「ハワイ商店」は、祖母が戦後の昭和23年に3人の息子を育てるため東京・下高井戸の今も残る昭和のアーケード内に開店した、よろず屋の屋号。のちに荻窪へ移転した。

祖父は広島産まれ。祖父の両親と兄弟3人は広島県可部町からハワイへ移民として移住しており、祖父だけが中学から日本に戻って大学生時代に祖母と出会った。

特高警察に勤務していた祖父は、戦後解雇され無職となり、間もなく亡くなった。

祖父の兄弟にあたるハワイの親戚は米軍で働いており日本に出張も多く、戦後物資を届けてくれていたそう。それを銀座の闇市で販売して資金を貯め、東京・下高井戸の「下高井戸駅前市場」に店舗を構えた。その店名を祖母は「ハワイ商店」とした。

扱っていたのは、身の回りの雑品。タオルからつけまつげ、学校の体操着や運動靴まで。仕入れ先は東京日本橋馬喰町の『エトワール海渡』。子供のころよく仕入れに付き合っては、最上階の休憩所で飲めるオレンジジュースの飲み放題が嬉しくて仕方無かった。年末は12/31の深夜まで店を開けていたし、クリスマスセールなんかもやっていた様子。

「ハワイ商店」は昭和30年に下高井戸から荻窪に移転、移転後改装もして小粋な看板がついていた。それから十数年後「ハワイ商店」の二階で私は人生をスタートした。よろず屋「ハワイ商店」はバブルも終わりかけの平成の始めに高層マンション建設の立退き要請により、閉店。


祖母の屋号を引き継いで、会社員をやりながら流離スナックを始めたのは2011年12月。副業規定にひっかかりそうになり2017年に退職、「ハワイ商店」を本業とする。

「ハワイ商店」といっても、ハワイの店ではない。釣り師でもないし、料理人でもないし、セールスマンでもない。よろず屋的に活動しているのは先代からのDNAでして”旅食人”なのであります。